2015年3月1日

酒樽作り 解説再録 其の壱

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「菊正宗での酒樽作り」担当した解説を再録

   1、杉について
 
四斗と言うのは約72リットル、この中に一升瓶で40本分入ります。
昔は酒樽と言いますと、この四斗樽だけでした。
木は殆ど奈良県吉野郡の川上村の物を使います。
ここに持って来た物が吉野杉の100年ものです。細く見えますが年輪はしっかり100本以上あります。
吉野の杉は苗を1メートル四方に一本、他の地方では3メートル四方に一本植えますから百年後にはこの三倍くらいの太さに育ちます。
吉野杉だけは「いじめ」が許されていまして、吉野では密に植えて根元に陽が当たらないようにします。
そうすると生えて来た枝は自然に枯れて下に落ちていきます。若い間は枝打ちしなくていいんですね。
いじめていじめて育てますから、木目が細かくなり、1センチに8本。
陽を求めて天へ天へと伸びて行きますから根元と木の先の直径が殆ど変わらない様なまっすぐな木が出来る訳です。
��mの原木で元と末に3センチの誤差しか出ない程です。
��0年程経ちますと間伐もはじめますから1ヘクタールに1万本植えた杉のうち樽に使える木はその4分の1程の2000〜2500本です。
��東京ドームに4万5千本植えて、そのうちの一万本が樽になる計算)

おまけに川上村と言うところは日本でも有数の雨の多い地域で、山奥ですから適度に気温も低くて、年中「もや」がかかっている特殊な地域で杉の色が綺麗で、
酒との相性が良くて、液体を漏らさない特性があり、節がありません。節があると、そこから酒が洩れます。
何より香りが良いので酒を容れると味が最高です。

秋田杉は寒い地域ですし木目も密ですが、色が悪くてアクが強く酒がまずくなり、樽材として致命的なのは、滲み易い点です。
九州の杉は暖かいので木目は荒いのですが色はピンク色をしていて、綺麗で滲まないし値段は安いと良い事ずくめなんですが,
残念ながら香りが全くないノで樽酒には不向きです。木曽や北山杉は香りが酒には向いていなくて樽酒にすると呑めた物じゃありません。
四斗樽を作るには杉の丸太を一尺八寸に切ります。楽器の尺八と同じ長さですね.約54センチ強です。
これを丸みの付いた斧の様な物で,木目にそって割る訳です。決して鋸は使いません。木目が切れるからです.木目が切れるとそこから酒が漏れるのです。
この外側が白くて内側が赤い部分を甲付(こうつき)と呼び、一本の木から一カ所しか取れないマグロの「大トロ」のような部位です。江戸時代は酒樽と言えば甲付樽だけでした。
赤味は醤油や油,酢などを運ぶのに使われました。


 2、樽廻船
桶と違って樽と言う物は完全に輸送容器なんです。
明治の中頃に一升瓶が登場するまで全ての酒は杉の樽に詰められて、ここ魚崎の浜や御影の浜から樽廻船に積まれて江戸へ下って行きました。
その間、約一週間 丁度いい具合に木の香りが付いて江戸では「下り酒」と呼ばれて珍重されました。
左手に富士山を眺めながら下るので「富士見酒」とも言いました。
江戸近郊の酒は下って来ないので「下らない」と二級品扱いです。
上方のお金持ちは、この「下り酒」をもう一度船に積ませて二度富士山を見た酒を飲んで粋がっておりました。
見学された方もおられるでしょうが、こちらで樽が沢山並んでいる樽酒貯蔵場は「貳度富士酒」という高級酒を作っている場所と言える訳で、動かない樽廻船であります。
このあとで実演があります「菰まき」の菰と言う物は、この樽廻船で運ぶ際に船が揺れますから樽と樽がぶつかって傷つかないようにしたプロテクターだったのです。
各蔵元がよその酒樽と区別し易いように年々競って派手になって来たようですけれど、
菰屋さんには悪いんですが樽屋としましては、折角丁寧に作った樽をコモで隠してしまう事は残念に思います。
出来るだけコモを巻かず裸のままの樽(たる)で酒を呑んで欲しいものです。



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