2010年8月7日

元気のない和樽(たる)組合

DSC09565.JPG中古のウヰスキィ樽の再利用

気が付いたら、「立秋」ですが、本格的な暑さはこれからでしょうね。

和服と洋服があるように、樽(たる)にも和樽(たる)と洋樽(たる)の二種があります。
基本的な製造工程が似ている点などは書きはじめると長くなるので、又の機会に譲ります。

和服は本来、「着物」と呼ぶべきで、明治維新前後に西洋から彼の地の衣服が到来した頃、ふたつを区別するために作られた急造日本語で、繊維業界では「和服」が定着してしまいましたが、
樽(たる)の場合は、樽(たる)そのものを目にする機会も近年減って来たからでしょう。
「和樽(わだる)」という変な日本語は死語になりつつあり、「樽(たる)」と呼ぶだけで、
吉野杉の樽(たる)を示すように本来の呼び方に戻って来ました。

日本には、かつて全国各地に「和樽組合」という団体が組織されました。
酒樽(さかだる)を酒造メーカーに納める際に、その価格の改訂を蔵元側と折衝したり、
��戦前は醤油メーカーと樽の価格相談もありました)
「樽職人労働組合」との賃上げ交渉、「輪竹製造組合」との価格相談、吉野の「樽丸組合」と材料の価格を調整する際等に、その窓口になっておりました。

大手酒造メーカーが強い影響力を持っていたので、一軒ずつの交渉は受けてもらえず「和樽(わだる)組合」が全ての窓口になっていたのです。
明治の半ば灘五郷とその周辺の樽関係の業者が集まって「灘五郷酒樽製造業者組合」を組織しました。
今は、「兵庫県和樽工業組合」と改称されております。
しかし最近20年ばかりは「酒樽(たる)」の価格改定の機会もなく、和樽(たる)組合も親睦団体化してきた上に組合員も年々減少してきましたので、現在では「和樽組合」は名ばかりになっております。
他の業界でも「組合」という形態そのものが弱っていますが、少なくなっていく和樽(たる)を今も作っている樽屋業界の場合は「樽屋(たるや)竹十」の灘五郷周辺地域だけで、日本中に残っているほぼ10軒の樽屋のうち約半数を占めているのが現状ですから、全国組織にする等、仕入れや販売面で協力して、なんらかの形で「和樽(たる)組合」が元気を取り戻す努力をしなければ、と思っております。

将来は「和樽」という妙な日本語は排除して、堂々と「樽(たる)」の組合に戻すべきですし、「日本酒」という卑下した謂いも徐々に改善して行きたいものです。

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