2010年8月14日

酒樽屋の日和下駄 其の壱

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岩屋名所 松帆の浦」という説明を持つ絵葉書です。

昭和8年の消印から類推するに、台風で本殿の「敏馬(みぬめ)神社」が流された為の急拵えの祠ではないでしょうか。
「樽屋竹十」の中にあった「住吉神社」の親社です。
同じように江戸に向う樽廻船の航海の無事を祈りに出帆前の船は必ず、お祓いを受けました。
この付近は今でこそ前を国道が走り、海まで何キロも埋め立てられてしまいましたが、
古い資料によれば、かつて料理店35軒、お茶屋15軒、芸妓置屋15軒からなる、
福原、花隈に次ぐ狭斜の街だったのです。

蕪村が有名な「菜の花や月は東に日は西に」の連句を詠んだには、この地にあった、
料理旅館「井筒屋」の句会だと言われております。

「敏馬神社」という、この神社は地域では殊のほか重要な杜で、
樽屋の親方夫婦は祭事があれば、必ずお参りに出かけます。

「敏馬花街の由来記」1936年 によれば、元々漁港であり、夏は海水浴場として賑わったらしく、やって来る遊客を見込んで明治31年に前述の花街を建設した由。



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