2009年5月27日

酒樽(たる)屋の蔵から、昔つくった樽(たる)や桶(おけ)が色々出て来る

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これは水を運ぶための「桶(おけ)」です。
よく混同されるのですが、樽(タル)ではありません。
かつて、一対の桶(オケ)を天秤棒にぶらさげて、よく川や海に水を汲みに行ったものです。

戦後すぐの物資不足の時代には樽の材料を供給してくれている奈良県吉野郡方面へ
御礼の意味を込めて大量の「肥桶」も送っていたそうです。

何にせよ液体の輸送といえば、かつては何をおいても、樽(タル)と桶(オケ)だったのです。
各デパートのワンフロアが桶類ばかりという時代もあったことが古い写真集等を見ていると判ります。

産湯を使う盥(たらい)から棺桶に入るまで、
かつて、ひとの人生は桶(オケ)に始まり、
桶(オケ)で終わるという木製容器人生だったのです。
生きている間も「おひつ」に入った御飯を食べ、木の浴槽に木の風呂桶を持って入り、
醤油、酢、酒等は全て酒屋へ通って樽(タル)から少しずつ出して来て暮らす毎日でした。

昭和の終わりにプラスチック製品が登場した事により、一気に桶(オケ)樽(タル)は
市場から姿を消しました。
確かに木製樽はメンテナンスが面倒です。化学製品は、その点は楽ですし安価です。
でも、愛情が生まれる道具じゃありません。

写真の桶(オケ)も下部の箍(タガ)が傷んでいます。
昔だったら、前にも紹介した「輪替屋」が修理してくれたものです。
そういえば、穴が空いてしまった鍋を修理する「鋳掛屋(いかけや)」さんも見掛けなくなりました。
ラオのすげかえ屋(キセルの修理屋)なんて、とっくに消えた風物ですね。

日本にも、最近まで道具を修理しながら、大切に使うという立派な文化が残っていたのですが、
化学製品の出現と同時に「安い物を気軽に買って、使い終わったら捨てる」という傾向に一気に変わってしまいました。

ようやく、環境の問題も含めて、木製の道具の良さを再認識して下さる方々が増えて来ましたが、
少々、遅かったのです。
たくさんの職人たちが持っていた優れた技術の伝承が間に合いませんでした。
今では、桶(おけ)屋の仕事も樽(タル)屋が代りに受け継がざるを得ませんし、
それが樽(タル)屋の使命だと考えております。
世話のやける木製樽(タル)ですが、使えば使う程、かわいくなってくるものです。



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