2008年9月30日

昔の酒樽屋風景

DSC01791.JPG 桜正宗 所蔵資料より

江戸期から昭和四十年頃まで、酒樽屋といえば、写真のような光景でした。
沢山の酒樽職人が「みせ」と呼ばれる作業台に並んで、一日に数十個の酒樽(さかだる)を叩いたものです。
一日と言っても、朝六時前から昼三時頃まで。道具を研いで仕事を終えます。
職人以外に「うろうろ」という人たち、即ち助手が酒樽職人二人に一人位付きます。
酒樽職人は、ひたすら酒樽を作るだけで用を足す時以外は「みせ」を立ちません。
必要な材料や道具が必要な場合、また昼食時の茶など全ての雑用を「うろうろ」に命じます。
仕事場の中を一日中「うろうろ」しているにで「うろうろ」と言ったのでしょう。
「うろうろ」も只うろうろしている訳ではありません。
先輩たちの仕事を盗み見続け、何年ヶ後には五人に一人位は酒樽職人として「みせ」に上がらせてもらえます。七十歳を過ぎても不器用な人は「うろうろ」のままでした。
親方の仕事は酒樽職人が その日作る酒樽に必要な側材を樽丸の中から選別して「みせ」にあてがう事です。
底と蓋(ふた)そして竹は「うろうろ」が「みせ」の前に写真のように用意して置きます。
出来上がった酒樽も「うろうろ」が仕上げ作業をし、洩れの検査は頭領格の樽吹き職人が担当し、配達は専門の力持ちの男たちが担当しました。トラックが登場するまでは大八車か牛で蔵元の樽場まで酒樽を運んでいましたから。


当時、大きな蔵元では蔵の中に製樽部というものが存在していたので、社内で酒樽を作っていた写真かも知れません。
「たるや竹十」は輪を締める段階を機械化しただけで、今も基本的にこの写真と変わらない風景です。

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