2006年12月18日

アマデウス あるひは疾走するかなしみ

��006年は「生誕250年」。
誕生月の一月、ザルツブルグでのムーティによる祝祭に始まり、今年はモオツァルト、MOZARTの一年でした。
ヴォルフガング・アマデウス・モオツァルトが生きた1700年代後半というのは、日本では本居宣長、上田秋成、与謝蕪村らが活躍した時代でもあるのですが、彼らを再読する人よりもモオツァルトを聴き続ける人々の方が遥かに多いということは音楽が持つ、時代と国境を超えた普遍性を象徴していると言えましょう。

交響曲40番ト短調アレグロについて、小林秀雄は以下のような有名な一節を書き残しています。
敗戦直後の昭和21年の暮れに小林自身の編集による雑誌「創元」第一輯に掲載されたものです。

初出誌「創元」創刊号

「確かに、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追ひつけない。
涙の裡に玩弄するには美しすぎる。
空の青さや海の匂ひの樣に、萬葉の歌人が、
その使用法をよく知つてゐた「かなし」といふ言葉の樣にかなしい。」


 「駆けめぐる悲しさ(tristesse allante)、言い換えれば、爽快な悲しさ(allegre tristesse)とも言える<テンポ>の速さと対照をなしている」(アンリ・ゲオン『モーツアルトとの散歩』高橋英夫訳)にインスパイアされているとはいえ、吉田秀和にもグルーバにも書けなかった名文。
小林秀雄の絶筆は、ゆくりなくもモオツァルトと同時代の「本居宣長」でした。

モオツァルトの絶筆は「レクイエム第8曲」LACRIMOSA(涙あふれて)。
楽譜には、彼自身の涙の跡と思われる滲みが残っていると言われています。

投稿者 diva : 15:38 | コメント (0)

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